セレーゴ・アリギェーリ

歴史

「ヴァルポリチェッラはかくあるべき」

イタリア文学の傑作『神曲』を著したダンテ・アリギエーリは、政争に巻き込まれて故郷フィレンツェを追われた。その息子ピエトロがヴァルポリチェッラに安住の地を得て六百五十年。直系子孫によって、セレーゴ=アリギエーリの哲学は変わることなくこの後も守り続けられる。

ギュスターヴ・ドレの挿絵があまりに印象的である所為か、あるいは地獄の門に佇む男をモチーフとしたロダンの「考える人」があまりに有名である所為かもしれないけれど、イタリア文学の中で、私個人が最も親しみを感じる作品のひとつが、ダンテ・アリギエーリの『神曲』である。古今東西あらゆるパーソナリティを縦横無尽に登場させ、自分が嫌いな奴は地獄に落として責め苦を与える…少々子供じみているようにも思えるが、否、子供っぽくあればこそ、ダンテの筆は活き活きと冴えわたる(白状すると、翻訳でしか読んだことがないので、偉そうなことは言えないのだけれど…)。ともかく、ボルセーナ湖産鰻の葡萄酒漬が大好きで年中そればかり食べていた法王マルティヌス四世が、食べすぎの煉獄に堕とされているくだりなど、いつ読んでも可笑しくてたまらない。ダンテは一二六五年、フィレンツェの貴族の家に生まれた。若くして市の行政官となるも、政争に巻き込まれ、不本意にもフィレンツェ市を追放されてしまう。彼自身の表現によれば、「物乞いのように」イタリア中を放浪したという。そうした運命の下で『神曲』が書かれたのだから、子供っぽいのも無理からぬところか…。
 そのダンテ直系の子孫が、アマローネとレチョートで知られるヴァルポリチェッラ・クラシコに居られるということは以前から耳にしていた。そもそもは一三五三年、ダンテの息子ピエトロがこの地に農園を購入したことに遡る。この農園および葡萄畑は、現代の分析で、近在では最もアマローネに適した地であることが証明された。流石はダンテの息子、土地の力を見抜く眼力を持っていたのだろう。ヴァイオ・アルマロンというその地名は一説にアマローネの語源とも言われる。
お館を訪れた私を最初に迎えてくださったのは、現当主ピエラルヴィーゼ・セレーゴ=アリギエーリ伯爵の令嬢レディ・マッシミラ。二〇〇三年に大学を卒業し、今年からは公式にセレーゴ=アリギエーリのプロモーションに従事するという彼女は慣れた様子で案内役を引き受けてくれた。いったい美しい所である。手入れの行き届いた一三〇ヘクタールの葡萄畑に囲まれ、朝の光を浴びている。クラシックな作りの陰干し倉庫の中では、アマローネ用の葡萄が静かに眠る。倉の空気そのものが他所のそれとは異なっているようだ。一粒摘んで口に入れると、練れた果糖と上品な酸が濃厚な風味として口中に充満する。成程、セレーゴ=アリギエーリの葡萄は一味違う…。
「だからこそ、この地の葡萄で世界に向けてワインを造りたいと思ったのです。」
謁見の間というか、陽光降り注ぐ気持良いテラスで、愛犬ルッポを連れたピエラルヴィーゼ伯爵は言った。静かで抑制の効いた声からは、土地に対する並々ならぬ愛情が窺える。
「七〇年代の後半まで、この土地では農家がワインを造って売るという発想がなかった。勿論、大昔から醸造してはいたのですよ。素晴らしいワインをね。しかし土地で消費してしまう程度だった。私は、若い頃から『ヴァルポリチェッラはかくあるべき』という意見を持っていました。マァジ社と協力関係を築いた第一は、そのヴァルポリチェッラに対する意見が一致したからに他なりません。」
それを象徴するひとつが、アマローネ。特に吟味されたコルヴィーナ、ロンディネッラ、モリナーラの三品種をアパッシメント(陰干し)し、糖度と旨味を充分に高めてから醸造されるこのワインの独特の風味こそ、伯爵の言う「ヴァルポリチェッラの味」である。
目先の損得に踊れば尚更のこと、伝統のみにとらわれていても、やがて取り残され、消えてしまうのが常の世だ。この地に根をおろして二十代、六百五十年間の歴史を守るということは並大抵ではない。近年、セレーゴ=アリギエールはトスカーナに葡萄畑を購入したという。「もちろん畑に惚れ込んだのが一番の理由だけれど、アリギエーリ家の人間として、ちょっとセンチメンタルな気持もありました」。つまり、ダンテが追放されて以来、七百年ぶりの里帰りというわけである。ひょっと、伯爵にいたずらな質問を投げかけてみた。
「六百五十年の伝統があるセレーゴ=アリギエーリの未来を、伯爵はどのくらい先まで考えて行動しているのですか?」
「私たちの一家はこの地に六百五十年いるわけですが、これから先も六百五十年くらいは…と、まあ、そう考えています。」
伝統の中で生きるひとの、これは深い言葉である。

このページの先頭へ