Food History食材の歴史

オリーブオイルの歴史

実りの秋がやってきました!日本でいうと、芋・栗・南京、松茸や秋刀魚などが秋の代表的な食材かと思いますが、日本人としてやはり一番待ち遠しいのが新米ですよね!

一方、イタリアでもポルチーニ茸やトリュフなどが秋の味覚の代表格ですが、日本人が新米を楽しみにしているように、イタリア人も楽しみにしている物がその年の『新油のオリーブオイル』です。

オリーブは、5月~6月頃小さな白い花をつけ、そして10月下旬からオリーブの実の収穫が始まります。グリーンの実の初物オリーブを搾ったものをイタリアでは新油「NOVELLO (ノヴェッロ)」として販売されます。

オリーブの実は、実が熟していくと緑から黒へと変化していきますが、まだ緑のうちに収穫されたものは、オリーブ本来の「香り」・「味わい」を楽しむ最適な方法であり、また古代より一番良質で貴重とされてきました。そのオリーブオイルの歴史は大変古く、オリーブの栽培は、紀元前4,000年前から始まったと言われております。

オリーブの木は、シリアやパレスチナで栽培され始めたと言われており、そのあたりからトルコを経て、ギリシャに広まったとされています。その後フェニキア人によりスペイン沿岸や北アフリカ諸国、そしてイタリア本土へと伝わり、さらには大帝国を築き上げたローマ帝国により地中海沿岸の地域に広められました。

オリーブオイルの起源

古代ローマでは、オリーブオイルは食用だけでなく、灯油用、化粧用、薬用、工業用としても使われる生活必需品でしたが、ローマ帝国が拡大するにつれ、イタリア半島のオリーブオイル生産だけでは追いつかなくなり、ローマは需要を満たすために帝国の属州から税金の代わりとして輸入し始めます。輸入されたオリーブオイルは、ローマの港湾都市でもあったオスティアに入港し、そこからテヴェレ川を通ってローマへと運ばれていきました。オスティアには、今でも当時のオリーブオイルやワインを貯蔵していた運搬・保存するための陶器の壺「アンフォラ」の遺跡やモザイクが残されています。

そのオリーブオイルの流通の多さを伝える遺跡が今でも残っています。それが、ローマ中心地にあるテスタッチョ山。紀元前2世紀から1世紀にかけてローマが輸入したアンフォラの破片が堆積してできた人口の山ですが、アンフォラの堆積だけでも高さ34mにも及ぶそうです。マンションにして10~11階相当の陶器の山が周囲1kmにもわたって出来たほどでした。

テスタッチョ山のアンフォラの数を数えると、帝政時代に毎年、32万個以上のアンフォラがローマに運ばれていたころがわかり、それはオリーブオイル2万2480トンに相当するそうです。このころのローマの人口は100万人になっていたことを考えると、一人当たり毎月2リットルを消費していたことになります。2020年の日本におけるエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルの総輸入量が約5万4000トンなので、その42%にもあたる量がローマだけで使用されていたことには驚きです。

オリーブオイルは、はじめ香油として使われていました。それを料理に用いることを広めたのも、オリーブオイルに等級を付けたのも古代ローマ人と言われています。

当時よりやや色づき始めてのオリーブから抽出したオイルを「オレウム・ウィリデ(緑の油)」と呼ばれ、最高級品とされてきましたが、大プリニウス(古代ローマの博物誌家)により、現代でも通じるオリーブオイルの等級を定めました。緑のまだ熟していないオリーブからは、「オレウム・エクス・アルビス・ウリウィス」と呼ばれ、「緑の油」と同等の最高級の油がとれるとされました。これが現在の『ノヴェッロ』です。

オリーブは熟せば熟すほど油は濃くなり、風味は落ちていきます。熟した黒オリーブから採れるもの、熟して地面に落ちたオリーブから採れるものと等級分けされ、更に傷んだオリーブから採れるものは奴隷に食べさせたり、灯火用に使用されたりするなどしていました。

オリーブオイルには、主成分であるオレイン酸を始めポリフェノールやビタミンEなどが含まれています。これらには、体に嬉しいたくさんのメリットがあると言われています。

健康効果も謳われているエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルを普段のお料理に取り入れてみてはいかがでしょうか?

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