Food History食材の歴史

Spaghetti al Pomodoro

トマトソース・スパゲッティの歴史

「トマトソースのスパゲッティ=イタリア料理」と言っても過言ではないほど、世界中で有名な料理です。しかし、トマトソースのスパゲッティのルーツは深く、実は、本当のイタリア料理とは言えないかもしれません。

 

イタリアでのパスタの始まりは、中国で生まれた麺をマルコ・ポーロが母国ヴェネツィア共和国に持ち帰った以降にパスタが広まった、という有名な伝説がありますが、『イル・ミリオーネ』にはそのようなことは一切書いてありません。

パスタはパンの一種として誕生しました。薄くて、発酵せず(稀に発酵しますが)、保存ができるように乾燥させたものでした。その地理的な起源場所はアジア、エジプトとメソポタミアの間とされます。3世紀から7世紀の間のある書物では、ペルシャ人が「ラクシャ」と呼ばれる細長い形状のパスタについて言及しています。パスタは中東からヨーロッパへと旅し、ギリシャに到着して「ラガノン」と呼ばれ、ローマでのパスタの名前は「ラガナ」に変わりました。当時は、「パスタ」というものは料理として認識されているということではなく、ある料理で使用される食材の一つでした。一方、生パスタは他の食材と一緒に調理されたものとして存在し、デュラム小麦で造られる乾燥したものとして存在していました。イタリアへこの乾燥の技術を伝えたのはアラブ人。当時は「イトリヤ」という名前で知られている製品でした。パスタを乾燥させる習慣は、「イトリウム」の名前でユダヤ人の間でも知られ、ギリシャ語の「トリア」として名付けられていました。アラブ人の遺産であるパスタは、その後シチリア島に上陸しました。12世紀半ばには、乾いた長いパスタの最初の産業、つまり「イトリア」の情報が残っています。シチリアは地理的な条件の良さと、乾いた気候に恵まれ、乾燥パスタの技術の習得とともに、ローマ帝国の穀倉となり、デュラム小麦のパスタ産業の発祥地となりました。

もう一つの“イタリアっぽい響き”で有名な言葉はマカロニです。

アメリカではマック・アンド・チーズというとろけたチーズソースのパスタ料理がよく知られているでしょう。
「マカロニ」という言葉は11世紀から使われていましたが、乾いたパスタを示すものではなく、小麦粉とセモリナ粉でできたニョッキを示していました。その後、「マカロニ」という言葉を「シチリアの」と組み合わせて、「太陽の下で乾燥させなければならないもの」と「2〜3年保存できる」という形状を示しました。
そして、イタリアのいろいろな地方では、異なる形状の乾燥パスタを示す様々な言葉が誕生します。アンコーナ市では「トリア」、トスカーナでは「ヴェルミチェッリ」、ボローニャ市では「オラティ」、ヴェネツィア市では「ミヌテッリ」、レッジョ市では「フェルメンティーニ」、マントヴァ市では「パッパルデッレ」。マカロニは、生産と保存方法の改善と共に、それ自体で食品としての地位を手に入れました。中世の終わりのころには、料理本では単にパスタと呼ばれるようになります。パスタは「パスタ」として、世界共通用語となりました。 当時のレシピ本にはこうして「パスタスープ」について書かれ始めていました。

パスタの歴史はチーズの歴史と強く結びついています。


トマトソースのパスタの次に象徴的なのは、カルボナーラとカーチョ・エ・ペペでしょう。両方とも乾燥パスタと同様、質素で保存しやすい材料で作ります。一つは卵、ベーコン、チーズ、黒コショウ、もう一つはチーズと黒コショウのみで作ります。イタリア語で「マカロニの上のカーチョと同じ」ということわざがあります。うまくいった、良い結果が得られたということを意味します。そして、これはパスタとチーズの相性がよいことも意味しています。
12世紀から13世紀の間に書かれたレシピ本で、ペコリーノチーズという伝統的な食材と並んで新しく登場するのは、 当時「ピアチェンティーノ、またはロディ、またはミラネーゼ」とも呼ばれていたパルミジャーノチーズでした。パスタとチーズの組み合わせにより、ナポリの人々は飢えから救われ、「マカロニ食い」というあだ名が付けられました。 食糧不足とスペイン政府による悪政は食糧難を引き起こし、キャベツ(パンの代わり)と肉の供給も不足しました。 18世紀の終わりに、マカロニはナポリの貧しい地区の卓越したストリートフードとなっていました。

何世紀にも渡り、パスタ料理は白色でした。味付けには、チーズやバター、スパイス、そして、時々ラードが使われており、トマトソースは一切使われていませんでした。
18世紀に、コロンブスによりアメリカからもたらされたトマトは、ヨーロッパでは既に知られていましたが、1519-1521年の間に、初めてスパゲッティとトマトソースを合わせたのは、メキシコを征服したエルナン・コルテスでした。この野菜とその調理方法は、ピエトロ・アンドレア・マッティオリ(1544)により翻訳されたディオスコリデスの「薬物誌」の中で初めて言及されています。しかし、トマトソースはヨーロッパの料理本には18世紀になりようやく登場します。 よく「spagnola=スパニョーラ(スペインの)」ソースとして知られていましたが、スライスしたトマトとペペロンチーノで作られていました。そのレシピはナポリの料理人、アントニオ・ラティーニのレシピ本「現代の執事Scalco alla moderna」の中で1692年に初めて登場します。この本では「スペイン風のトマトソース」と呼ばれています。グリモ・ド・ラ・レニエールによる「Almanach des Gourmands(美食年鑑)」では、初めて“ヴェルミチェッリには、たまにチーズの代わりにトマトソースが使われる”ということが書かれています。
しかし、ナポリでは“チーズの代わり”ではなく、トマトソースのパスタにチーズを“加える”ことも試されていました。そして、パスタにトマトを合わせることを日常化させたのは、現代のイタリア料理の礎を築く本「イタリア料理大全: 厨房の学とよい食の術」の著者、ペッレグリーノ・アルトゥージでした。
1900年代で、トマトはパスタソースとして最も使われているソースとなり、逆にチーズは足す調味料だけになっています。そして、バターやラードではなく、オリーブオイルで味つけをするのが現代では普通になっています。

使用するスパイスも時代と共に変わりつつあります。かつては、振りかけるチーズと一緒にお砂糖やシナモンのような甘い系のスパイスが良く使われていました。

また、ニンニクや玉ねぎは元々使われていませんでしたが、19世紀になってから、現代常用されているセオリーとなるトマトソースと一緒に参入しました。ペッレグリーノ・アルトウージ氏が彼の料理本でその使用法を公式化し、「タマネギ4分の1個、ニンニク1片を叩く」と 記載しています。また、彼は材料のリストにセロリ、パセリとバジルも追加しています。(ちなみに、バジルも元々イタリアのハーブではなくインドで生まれたものです)。1837年に発行された「 Cucina teorico-pratica (理論的・実践的な料理」という料理本にそのような野菜を入れているのはイッポリト・カヴァルカンティ氏で、彼がもっとも最初に入れた人物です。

今日、イタリアらしさの象徴である「トマトソースのスパゲッティ」のような料理の進化を探求していきますと、アイデンティティはルーツに一致していない』ということが分かります。 『アイデンティティは我々の自己同一性である。一方で、ルーツは私たちが何であるかに変えた出会い、交換、交差点である。そして私たちが起源の探求に深く入れば入るほどより根が広がり、植物の根のように私たちから遠ざかる。つまり、その根がイコール他人にあるということを良くわかるのだ』と、作家のマッシモ・モンタナ―リ氏が言及しています。

シェフ カルロ・クラッコ氏によるフェリチェッティのモノグラーノシリーズを使用した『トマトソースのスパゲッティ』レシピ。ミラノにある伝統を生かした創作イタリア料理で有名なリストランテリストランテ・クラッコ(Ristorante Cracco)のエグゼクティブシェフのカルロ氏はミシュランの2ツ星を獲得した実力派です。