Wine&Liquorイタリアワインの歴史

イタリアワイン文化の始まり

イタリアワイン文化の始まり

フェニキア人とギリシャ人による、ワイン文化の普及

紀元前8世紀にイタリアに最初に本格的なワイン造りを伝えたのはフェニキア人とギリシャ人だった。特にイタリア南部を植民地化したギリシャ人の影響は大きく、多くのブドウ品種、優れた栽培法、醸造技術を持ち込んだ。今でも南部によく見られる一株仕立てアルベレッロはギリシャ人が普及させたものである。同じ頃にイタリア中部の広い範囲を支配していたエトルリア人も本格的な栽培、醸造技術を持っていた。樹木にぶどうの蔦を絡ませるマリタータと呼ばれる仕立てを行っていたが、この栽培方法は中部イタリアでは20世紀の初めまで見かけることがあった。

他の文明の優れたところを導入して発展させるのが得意であった古代ローマは、ギリシャ、エトルリアの両文明からブドウ栽培、ワイン造りを学び、それをさらに発展させた。そして、ローマ帝国の拡大とともにワイン文化を帝国全土に普及させた。その範囲は今日のドイツ、フランス、スペイン、北アフリカはもちろん、イギリスの一部にも及んでいる。ワインの通商も盛んで、イタリア産のワインはアンフォラに詰めて船で地中海全域に運ばれた。

イタリアワインの低迷時代と発展

古代ローマの成熟したワイン文化は、4世紀以降のゲルマン民族の侵入、西ローマ帝国の崩壊(紀元476年)により終焉を迎え、ワイン生産は著しく衰退する。南欧ではイスラム教徒に支配された地域もあり、ワイン造りは禁止された。暗黒の時代にワイン造りを守ったのは修道院である。中世の知識と技術の独占をしていた修道院では徐々に高品質のワインが造られるようになった。

イタリアワインの低迷時代と発展

ルネッサンス期: ワイン文化の復興

ルネッサンス期に入るとワイン文化も復興する。その中心となったのはトスカーナで、品質の高いワインが造られ、産地の名声が高まった。ワインついての興味深い言及も増えてくる。16世紀の歴史家、地理学者でローマ教皇パウルス3世のワイン担当者でもあったサンテ・ランチェリオはモンテプルチャーノのワインを賛美する言葉を残している。16世紀末の医者、哲学者で作家であったアンドレア・バッチはワインの薬用を示した著作をしたためている。17世紀末に医者、自然学者で詩人でもあったフランチェスコ・レーディの詩集「トスカーナのバッカス」にはワインについての言及が多くある。これらの著作はワインについての関心が高まっていることを伝えると同時に、ワインが単に日常の食事の一部というだけでなく、喜びを与えてくれる文化的産物であるという理解が浸透しつつあることを示している。

1716年にはトスカーナ大公コジモ3世がキアンティ、ポミーノ、カルミニャーノ、ヴァルダルノ・ディ・ソプラの生産地の線引きを行ったが、これは原産地呼称制度の最初の例で、産地がワインの品質に大きな影響を与えるという認識が共有されていたことがわかる。

1773年にシチリア島マルサラでイギリス人、ジョン・ウッドハウスで酒精強化ワインを生産し、世界的成功を収め、マルサラ酒はシチリアにとって大きなビジネスとなる。

1861年にはサヴォイア王家によりイアリアが統一され、近代国家イタリア王国が誕生する。その前後にワイン界でも活発な動きが出てくる。バローロ地区一帯の領主であったジュリエット・コルベール伯爵夫人と後にイタリア王国初代首相となるカミッロ・カヴール伯爵はフランスの醸造家ルイ・ウダールの力を借り、それまではやや甘口であったバローロを長期熟成辛口赤ワインとして生まれ変わらせ、「ワインの王、王のワイン」としての名声を築く。

1870年前後にはトスカーナのキアンティ地方でベッティーノ・リカーゾリ男爵が、今日のキアンティのベースとなる品種構成を定める。

1888年にはモンタルチーノのグレッポ農園でフェッルッチョ・ビオンディ・サンティにより長期熟成赤ワインのブルネッロが誕生する。

19世紀半ばにはカルロ・ガンチャがピエモンテでモスカートによる瓶内2次発酵スパークリングワイン造りを始め大人気となる。同じ頃ヴェネト州ではアントニオ・カルペネが今日のプロセッコの原型となるスパークリングワインを誕生させた。

このように19世紀後半のイタリアワイン界は非常に活発で、そのレベルは高く、当時ヨーロッパでよく行われていた博覧会などでもしばしば賞を得ている。 

フィロキセラによる被害

1863年に始まったヨーロッパのフィロキセラ禍によりフランスのワイン産地が壊滅的打撃を受けると、ワイン不足に陥った欧州は、フィロキセラ禍にまだ襲われていなかったイタリアに殺到し、イタリアワイン界は好景気に沸いた。ただ、アメリカ台木によるフィロキセラ対策が発見されフランスなどのワイン生産が回復すると、にわか好景気は終焉を迎え、20世紀に入ると今度はフィロキセラがイタリアの畑を襲い始めた。第1次世界、世界恐慌の影響もあり、景気が悪化、ブドウ栽培では生活ができない農民は大都市や外国に働きに出た。農村は見捨てられ、ブドウ畑は荒廃した。この時代に多くの土着品種が失われ、長年の伝統も忘れ去られてしまった。

質より量の低価格ワインから、高品質ワインを目指す

質より量の低価格ワインから、高品質ワインを目指す

第二次世界大戦後、イタリアは奇跡の経済成長を遂げる。この時代には低価格でそれなりに美味しいワインへの需要が急増し、イタリアワインは質よりも量を求める時代に入る。この時代に成功を収めていたイタリアワインは菰に巻かれたボトルのキアンティ、フルーティーでそれなりに美味しいが平凡なソアーヴェ、軽めの飲みやすいヴァルポリチェッラなどで、イタリアワインはピザ屋で飲む安酒というイメージが出来てしまった。シチリア、プーリアなどイタリア南部は相変わらずバルクワインの大量輸出を続けていた。1966年に誕生したDOCシステムも事態を大きく変えることはなかった。

そんな中1970年代末に意欲的な生産者の一団が世界に通用する高品質ワインの生産に取り組み始める。アンティノリ、ガヤなどが自発的に進めたイタリアワインの急速な近代化は、後にイタリアワイン・ルネッサンスと呼ばれる動きとなっていく。具体的には畑での密植、摘房、低収穫量、フランスの最先端の栽培方法、近代的醸造技術の導入、小樽熟成、外国品種の導入などを行うことにより、従来の伝統の殻を破った革新的ワインが1980年代に次々とリリースされ世界の注目を集めた。スーパータスカンが持て囃されたのもこの頃である。1986年には安い価格帯のワインにメチルアルコールが混入し、死者が出るというスキャンダルに見舞われ、イタリアワインは大きな打撃を受けた。しかしそれにより高品質を目指すしかイタリアワインが生き延びる道はないということが明確になり、生産者は品質を高めることに邁進したので、イタリアワインのイメージも徐々に回復された。

近年のイタリアワイン

近年のイタリアワイン

イタリアは、ワインの生産量が世界第1位

急速だった近代化への反動から、2000年頃から伝統的栽培・醸造の見直しが行われ、ワインのスタイルは濃厚さよりも優美さを重視するものとなった。土着品種への関心も高まっている。

ヨーロッパ大陸南部にあるイタリア半島は地中海に突き出していて、3方を海に囲まれている。北側をアルプス山脈に守られ、温暖な気候で、日照にも恵まれ、ぶどうの生育期にはほとんど雨が降らない。イタリア全土20州がブドウ栽培に理想的な環境である。南北に長く伸びた国土の地形は変化に富み、山岳、丘陵地帯が多いために標高、傾斜なども異なる。気候、土壌も多様で、栽培されているブドウ品種、栽培方法なども地方ごとに大きく異なる。したがってイタリア各地で多様なワインが造られ、それぞれの個性が際立っている。これはイタリアワインの大きな魅力の一つだ。

ヨーロッパの他のワイン生産国と同様に、ピーク期と比べるとワイン生産量は減少しているが、それでも2020年の場合、ワイン用ブドウ栽培面積は651,078ha、ワインの生産量は49,908,499hlとフランス、スペインを抜いて、世界最大のワイン生産国である。