Cultureカルチャー

2021年9月27日

バーチャルトリップ vol.6「水の都」ヴェネツィア

唯一無二の美しさで世界中から観光客を惹きつけるヴェネツィア。初めての方ならまず有名なサンマルコ広場、リアルト橋などをめぐるのがマストですが、もう少し時間に余裕のある方、またはすでに一度行かれた方のために、いくつか隠れたスポットをご紹介しましょう。
Andiamo!
 
ヴェネツィアには実にたくさんの表情があり、どこを切り取っても絵になります。ロマンチックだったり、厳かだったり、謎めいていたり……街を歩くといくつもの異なる顔を見せてくれ、まるで異なる物語を読むような感じなのです。
 
電車でヴェネツィアに入ると、ヴェネツィア・サンタルチア駅(Venezia Santa Lucia)に着きます。

運河をはさみ、目の前にサン・シメオン・ピッコロ教会があります。スカルツィ橋(Ponte degli Scalzi)を渡らずに、メイン通りの一つStrada Nova(ストラーダ・ノーヴァ)を約10分歩きますと、グーリエ橋にたどり着きます。

ヴェネツィアで唯一の尖塔で装飾された橋であり、橋の名「ポンテ・デッレ・グーリエ(尖塔の橋)」はここから取られています。
さて、ここでメインルートから離れ、右側に曲がってみると、ゲットーにたどり着きます。
ヴェネツィアにユダヤ人街、ゲットーがあることを知らない方も多くいらっしゃるかもしれません。
イタリアで最初の強制的で隔離的なユダヤ人居住区、すなわち「ゲットー」が創設されたのは1516年3月のことです。名前の由来は、元々ここは鋳造所だったため、ヴェネツィア方言で鋳造所のことをGhettoということからのようです。
1600年代には人口が増えつづけ、このゲットーではなんと5000人もの人が住んでいたそうです。限られたスペースに大人数を収容する必要があるため、ヴェネツィアのほかの地域とはちがって、ゲットーには8階建てもの高い建物が建てられました。ある意味でタワマンが集中しているみたいな場所です。

昼間はユダヤ人がゲットーから出ることは許されていましたが、夜間はゲットーの門が閉鎖され、隔離されていました。しかし、このように住む地域が分けられていたわりには、ヴェネツィアではユダヤ人が自然な形で溶け込んでいました。彼らの活動によって経済や社会が活性化しただけでなく、異文化の混じり合う刺激的な国際都市の雰囲気が生まれたのです。
このエリアには3つのシナゴーグ(礼拝所)や美味しいユダヤ料理のレストラン、伝統的なユダヤのパンを作っているお店もあります。

ヴェネツィアにはもともと土地が少ないため道路はなく、自動車や自転車も使えません。徒歩以外では船に乗るしか選択肢がないのです。船といえば「ヴァポレット」と呼ばれる水上バス、そしてゴンドラが有名ですが、そのほかにヴェネツィア市民の足として大活躍する、特別なゴンドラがあるのをご存知ですか?
 一見、ゴンドラのような外見なのですが、「トラゲット」と呼ばれる渡し船で、たった2ユーロで大運河(カナル・グランデ)を向こう岸まで乗せてくれます。2-3分程度ですが、ゴンドラ体験ができるのです。本島を逆Sの字の形で2つに分けている大運河には、橋は4つしかないので、それ以外の場所で河を渡るときは、地元の人たちはよくこのトラゲットを利用します。たとえば、先ほどお話したゲットーの近くであれば、サンタ・ソフィアという停留所からリアルトの魚市場にあっという間にたどり着きます。

ヴェネツイアと言えば、ゴンドラが象徴的な乗り物ですよね。

16世紀まで非常に裕福だったこの街には、今のゴンドラよりもっと派手なゴンドラが存在していました。しかし、1562年に市議会によって派手な船が禁止され、今のシンプルなスタイルに変わりました。
17世紀から18世紀にかけては、なんと約1万台ものゴンドラが走っていたと言われます。現在の約400台に比べると、驚くほどの数ですね。

大運河(カナルグランデ)を横切る橋は4つしかありません。もっとも有名なのは、ご存知のリアルト橋です。

昔は木造の橋でしたが、人の重みで崩壊したり、火災にあったりしたため、1557年に新しい橋の設計を募集しました。公募にはなんとミケランジェロも参加したらしいですが、アントニオ・ダ・ポンテの案が採用され、現在の姿になりました。橋の下を船が通りやすいよう、大きい橋になっています。

今日でも毎朝、リアルト橋のふもとでは、野菜や果物、魚の市場が開かれています。

ちなみに、あまり知られていませんが、リアルトの後ろの路地に入り、サンポーロ方面へ行きますと、変わった形のドアがあります。建物の中から外へ木製のワイン樽を転がすために、ドアの他の部分より下の部分が幅広くなっています。


ちょっと一杯、ヴェネツィア散歩
小腹がすいたら、リアルトの近辺や裏通りに、「バーカリ」と呼ばれる地元のバーがたくさん並んでいます、バーカリでは「チケッティ」と呼ばれるヴェネツィアの郷土料理の軽食が食べられます。タパスのような小皿料理で、飲み歩きを楽しむのにぴったりです。カウンターでつまんでもいいし、もう少しゆっくりしたい時はテーブルにすわるのもいいですね。本物のヴェネツィアーノのようにリラックスの時間を過ごしましょう。

ヴェネツィアの人は、よく運河に面したお店でワインを飲みながらチケッティを味わいます。

このような軽食系のスタイルにぴったりなのがヴェネト産の軽めのワインです。モデッロはアマローネのリーディングワイナリー、MASI社が造るワインです。
カジュアルなスタイルのホームパーティや、様々な食材を使ったアペタイザーに合わせやすい、本物のイタリアン・テイストを日常の食卓にお届けします。
家族や友人とともに食事やワインをシェアしながら、肩ひじ張らずに気軽に楽しむことのできるワインです。

モデッロ・ビアンコ・トレヴェネツィエ

香りはクリーンで深く、花香と、レモン、すぐり、熟したリンゴを想わせる香り。酸味とボディのある果実のアロマが口の中に広がり、後味は辛口だが繊細でアーモンドのような味わいがあるフルーティーなワインです。
モデッロ・ロッソ・トレヴェネツィエ

スミレや熟した赤い果実の複雑な香り。さわやかな酸味と柔らかいタンニンとのバランスが魅力的です。チェリーやラズベリーの味わいがあり、余韻を楽しめる味わいです。

さて、余談になりますが、弱い地盤に建てられたヴェネツィアの建物について少し話をしましょう。
水の都ヴェネツィアは、数多く流れる川の間にある陸地に家を建てたと思われていることが多いようです。しかし、実際には海の中に少しだけ残った「潟(ラグーナ)」と呼ばれる陸地に作られた海上都市なのです。

ヴェネツイアの街の誕生は5-6世紀にさかのぼります。東ローマ帝国が衰退するにつれ、ゲルマン人から逃げ込む形で移り住み、その歴史が始まりました。
しかし、潟は海の中の砂が長い間に堆積してできたものです。そのため地盤が弱く、重い材料を使った建物だと、時間が経つにつれ建築物は自重で沈んでしまいます。そのため、藁や木など軽い材料を使った家しか建てられない場所なのです。

生活を築くために使える土地は、海の中に少し盛り上がった潟だけでした。そこに、まず近くの内陸の森から木を切り出し、杭を作りました。その杭を、柔らかい砂地の下にある硬い層に届くまで何本も打ち込みました。次に、打ち込んだ杭の上に石を積み重ねて基礎を作り、そこにレンガの家が建てられました。打ち込んだ杭の数があまりに多く、「ヴェネツィアを逆さにしたら大きな森ができる」と言う人もいるくらいなのです。

しかし、木は水に濡れて空気にさらされたら腐食しますが、ヴェネツィアの場合、杭は地下深くの硬い地層まで打ち込まれているため、土で密閉され、空気に触れることがありません。そのため、1,500年たった今でも腐らず、ヴェネツィアの杭打ち法は今日でも使われていて、現在でもしっかりとした土台となっています。


さて、閑話休題。そろそろお腹がすきましたね。ショーケースに並んでいるチケッティや一口サイズの魚肉料理を存分に味わいましょう。
チケッティは価格も安く、ひとつからだけでも気軽にオーダーできます。なにより楽しいのは、チケッティの種類の多さと、おいしさ!お店によって種類は若干異なりますが、パスタを出すお店もあるし、揚げ物や煮込みを出すところもあります。
ヴェネツィアの郷土料理のなかでも欠かせないのは、「バッカラ・マンテカート(干し鱈のムース)」や「サルデ・ィン・サオール(揚げたイワシの酢漬け)」、「セピエ・イン・ウミド(イカの煮込み)」です。このような料理の付け合わせとしては、パンより、とうもろこしで作ったポレンタが添えられることが多いです。
気軽に楽しめる数々のチケッティ(小皿料理)は美味で、料金も2~5ユーロと手頃。なにを食べようかなって、ワクワクしてきますね!

最後になりますが、ヴェネツィアをはじめヴェネト州の人たちは、グラスワインのことを「オンブラ」と呼びます。イタリアの標準語では「日陰」という意味なのですが、他の州では通用しないので気をつけましょう(笑)!この名前の由来は、昔、サン・マルコ広場の鐘楼の下でワインを売っていた屋台の人が、塔が作る日陰を追って屋台を動かしていたからとか、居酒屋の廂が作る日陰からきているとか……。
まあ、そんな蘊蓄はさておき、とにかく、Salute!