Cultureカルチャー
2021年10月8日
バーチャルトリップ vol.7 マテーラ
みなさんこんにちは!
今回は、イタリアの土踏まずにあたるバジリカータ州にある都市から!バジリカータというと、イタリア国内でも存在感の薄い州ですが、侮ることなかれ!南イタリア屈指の観光地「マテーラ」をご紹介したいと思います!それでは早速Andiamo!
マテーラは、一番近い空港バーリ空港からも車で約1時間というアクセスの不便さにゆえ、日本のツアーでもなかなかお目にかかることのない都市でした。しかし、現在ではインフラも整い、またユネスコ世界文化遺産登録を機に南イタリア屈指の観光地になりました。そこに至るまでは「イタリアの恥」とまで言われ、貧困の象徴となる暗黒時代もありました。そんなマテーラですが、実は歴史は大変古く約7000年前の石器時代にもさかのぼるとも言われています。
岩肌を掘って造られた洞窟住居、「サッシ」
サッシとは、イタリア語の岩「Sassoサッソ」の複数形です。その名の通り、グラヴィーナ渓谷の斜面の岩肌を掘って造られた洞窟住居群が約3000から4000あり、何層にも重なって渓谷を埋め尽くしています。
マテーラの歴史
8世紀から13世紀にかけ、イスラム勢力の迫害を逃れたキリスト教徒の修道士たちは、洞窟内に130余りの教会や住居を造り、この地に移り住むようになります。15世紀には地中海交易により繁栄し行政を行う都市として最盛期を迎えますが、1806年にそれがポテンツァに移動することで行政機能が失われると、町は徐々に衰退していきました。また人口の増加による住居の不足もあり、多くの貧しい人々は家畜とともに暮らすのを余儀なくされ、衛生面の悪化による死亡者が多発するほど深刻なものでした。
1948年、この状況を実際にみた当時の共産党党首は、サッシを「イタリアの恥」と発言。一度は忘れ去られた都市でしたが、それをきっかけにイタリア全土の注目を浴びることとなりました。
1950年、当時の首相がサッシを訪れ、その翌月にはサッシに住む住人達をこの劣悪な状況から救うための任務を課しました。
こうして1952年に特別法案が実施され、サッシの住民の約2/3に当たる17.000人が新地域に強制的に移住させられました。結果、サッシ地区は無人のゴーストタウンと化し、荒廃していきました。
マテーラの見どころ
こうした歴史背景を持つサッシ地区は、中心にあたる「チビタ」、そこから南北に分かれて「サッソ・カヴェオーソ」、「サッソ・バリサーノ」の3つに分かれます。チビタ地区にはロマネスク様式の大聖堂、ドゥオモがあり、その広場から眺めるサッソ・バリサーノ地区の眺めは圧巻です。またサッソ・カヴェオーソ地区にはマドンナ・デ・イドリス教会をはじめ一見の価値ある洞窟教会が建ち並びます。
このように教会を始め居住区や街並みを見るだけでも楽しいので、ぜひ訪れていただきたい観光地の一つでもあるのですが、オプショナルツアーの多くが日帰りとなっています。個人的にマテーラの最大の見どころは、夜景!日が落ちてから家々にオレンジ色の灯がともったパノラマは大変幻想的で美しいので、これだけのためにマテーラへ行く価値もありますよ!
現在のサッシ
荒廃しきった洞窟住居「サッシ」の保護と復興のため、サッシを一般市民に貸し出しし、それをレストランやホテルなどに改装して営業されています。
ホテル滞在の際は、ぜひサッシのホテルに宿泊してみてはいかがでしょうか?
余談・・・
10月1日にやっと公開された007の最新作「No Time to Die」は、マテーラで撮影されたのはご存じですか?マテーラの洞窟住居が並ぶ旧市街地をカーチェイスにバイクの大ジャンプ… ユネスコ遺産のど真ん中でこのような撮影許可を出してしまうイタリア、やっぱり太っ腹!ですね。
最後にバジリカータ州を代表するワインのご紹介です!
ヴルトゥレ死火山の麓に広がる畑で造られるアリアニコ・デル・ヴルトゥレ。火山性土壌の持つミネラル分によって緩和された酸味がエレガントさを引き立てます。ミネラル分から来るバルサミックトーンとクローヴのようなスパイス香が熟したブラックチェリーの香りと混ざり合い、この土地でよく食べられる羊の赤ワイン煮込みやクルスキなどととてもよく合います!