Food History食材の歴史

パスタの謎 vol.1

みなさん、こんにちは!
今日、日本のみならず世界中で愛されているパスタですが、ところでその歴史はいつ始まったのでしょうか?今回は、そのパスタの歴史を2回にわたって紐解いていきたいと思います!

新石器時代の遺跡から原型が発掘されたパンと異なり、パスタそのものの痕跡はどこにも残されておらず、マルコ・ポーロが中国から持ち帰ったという説やアラブ人が発明したという説などが存在しますが、実を言うと、パスタの明確な起源というのは今でもはっきりしていないのです!!

前述にもある通り、一説にはマルコ・ポーロが中国から持ち帰ったという話もありますが、それは真っ赤なウソ!この話の出所は1929年のアメリカ。「マカロニ」と言う名の男から、中国では生地を紐状に伸ばした食べ物があると聞いたマルコは、その紐状の食べ物を「マカロニ」と名付けたこという業界紙の広告に端を発しているようですが、実際にはマルコ・ポーロの帰還は1295年。それより以前の1279年にジェノヴァ人水兵の財産目録には「木箱いっぱいのマカロニ」と記載されていたそうです。マルコ・ポーロの帰還以前からイタリアでパスタ製造が始まっていたようですね!

現在では、乾燥パスタの名産地としてナポリ近くにあるグラニャーノの街が有名ですが、実はイタリア初の乾燥パスタ生産地はシチリアだったのです!もともと乾燥パスタは、アラブ商人が発祥という説が有力で、砂漠をラクダで移動していた彼らは、小麦粉の保存性を高め、乾麺にして運んだと言われています。そして、9世紀頃シチリアを統治していたアラブ人により乾燥麺がシチリアに伝わりました。


パスタに関する最古の記録が12世紀のパレルモに最初の乾燥パスタ工場があったと記されています。当時、乾燥パスタは「イトゥリア」と呼ばれており、それは糸のような食べ物で大量に生産し乾燥させたものと記されています。この日持ちする食べ物がジェノヴァやピサ、イスラム・キリスト諸国へと運ばれ、更に14世紀から15世紀の大航海時代には保管が容易で、長い航海には実用的だったことから大人気となりました。
しかし、17世紀にパスタの一大生産地がシチリアからナポリに移ると、だんだんと衰退し、細々と地元の需要にこたえる程度になっていきました。

16世紀後半から捏ね機やダイス型が普及し始めると、19世紀初にかけて手工業による生産が盛んとなり、乾燥パスタの黄金期を迎えます。こうした生産システムに積極的だったのがナポリとジェノヴァでした。彼らの生産するパスタの品質は、イタリア国内だけでなく海外からも高い評価を受け、中でもそれまで製粉業を主流としていたトッレ・アヌンツィアータやグラニャーノは、ヴェスヴィオ山から吹き下ろす乾燥した風と海からの湿った風、そして日照量がパスタの天日干しに最適でより優れたパスタの生産地となり、ナポリに代わって乾燥パスタの一大産地となっていったのです。

当時フランスでもパスタは生産されていましたが、歯ごたえがないうえに茹でると崩れてしまうという低品質のものだったため、こうしてナポリとジェノヴァ産パスタは、名実ともにパスタ生産と販売の中心となっていきました。

ところで、当時のパスタはどのように食されていたかご存じですか?おろしたチーズをたっぷりとかけたり、そこへバターやラードを入れて食べられていたようです。ナポリでは、道端でパスタを売りそしてそれを手づかみで食べられていました。

では現在の世界の状況はどのようになってきたのでしょうか?世界のガストロノミー事情第三弾は、独特な食文化が開花したドバイのトレシンド・スタジオからヒマンシュ・サイニ氏と自然に囲まれたイタリア コモにある一つ星レストランシェフ ダヴィデ・カランキーニ氏にお話しをうかがってみたいと思います。