appetizer ハム入りクレープ

ハム入りクレープ

フランスには「クレープを焼くと幸せになる」
といういい伝えがあります

クレープは、薄くきつね色で、モスリン(ウールの織勿)のように透き通っていなくてはならず、さらにクレープのふちは縮れ波打ち、細かいレースのような輪郭でなければならないと、私は母から教わりました。その後、クレープについて調べてみたところ、まさにその状態を表す「クリスプス(crispus)」というラテン語がクレープの語源と知り、とても興味深く思ったものです。また、ルーツを辿ってみると、5世紀ごろ、ローマ法王ジェラジオが、疲れ果てた空腹のフランス人巡礼者を受け入れた時に、バチカンの厨房でクレープをつくらせたのが最初ではないかといわれているものの、ルーツははっきりしていないようです。

クレープにはたくさんの種類があります。塩味のクレープは前菜として出されます。これは、クリームやベシャメルソース(バターでいためた小麦粉を牛乳でのばしてつくるソース)とともに、ハムやチーズ、野菜などを加えるもので、材料のリストは無限です。甘いクレープは、砂糖やハチミツで味付けしますが、中に具を入れたり、スフレ状にすることもあります。また、クレープを細かく千切りにして、ポタージュの浮き身にすることもあります。

このハム入りクレープは、フランス北部のピカルデという地域の郷土料理で、でき上がりが細いパン(=フィセル)のように見えることから「ピカルデ風フィセル」と呼ばれています。

クレープは現在、世界中でつくられていますが、フランスではとくに、若い世代の間でクレープパーティが盛んに行われています。

25年も前になりますが、私もクレープパーティを催し、10種類のクレープを100枚以上つくって日本人のお客さまをおもてなししたことがあります。フランスには、クレープを焼くと幸せになるといういい伝えがあります。長い間日本で幸せに暮らすことができたのは、クレープをたくさん焼いたからかもしれません。

材料(直径14cmの薄いクレープ20枚分)

  • 《クレープの生地》
  • 小麦粉(ふるいにかけたもの) …150g
  • コーンスターチ …50g
  • ベーキングパウダー …小さじ1(ビールを用いる場合は不要)
  • 砂糖 …小さじ1
  • …ひとつまみ
  • …4個
  • …200ml
  • 牛乳 …200ml(またはビール400ml)
  • オリーブオイルまたはバター …40ml
  • ハム …8枚
  • おろしたチーズ(エメンタールまたはグリュイエール) …120g
  • マッシュルーム …200g
  • エシャロットまたはたまねぎ …50g
  • バター …20g
  • 塩・こしょう …適宜
  • レモン汁 …小さじ1
  • 生クリーム …150ml

作り方

  • ボウルに卵を溶き、そこに小麦粉、コーンスターチ、ベーキングパウダー、砂糖、塩を入れ混ぜ、そこに水と、牛乳を少しずつ加えます。
  • オリーブオイルまたは溶かしたバターを1のボウルに入れて混ぜ、目の細かい濾し器で漉します。漉した生地を1時間ほど寝かした後、8枚焼きます。生地が広がらない時は、十分に液体状になっていないから。その時は、少量の牛乳を加えてください。
  • マッシュルーム、エシャロットまたはたまねぎを薄切りにし、バターを溶かした鍋で、エシャロットまたはたまねぎを炒め、2分後に同じくマッシュルームを加えます。
  • 3に、生クリーム、塩・こしょう、レモン汁を加え味付けします(濃いめの味にしてください) 。
  • 2のクレープの上にハムを1枚のせます。さらに大さじ1、2杯の4を加え、しっかりと巻きます。
  • オーブンに入れる皿の底に少量の生クリーム(分量外)を入れ、その上に5のクレープをのせ生クリームをかけます。さらにおろしたチーズを振りかけ、その上にいくつかの小さなバター片(分量外)をのせたら、220℃のオーブンで5分焼きます。その後グリル機能で焼き目をつけます。

ミシェルアンドレコーヘン
Michele Andree Cohen

第二次世界大戦中の1939年12月、フランスのトゥールで生まれる。終戦後の1946年にトゥールからパリに移り、結婚するまでの15年間パリで暮らす。料理上手な母から、伝統的なフランス料理の他、アルザスの料理や、父親の故郷であるロレーヌ地方の料理を教わる。
バカロレア(大学入学資格)を取得後、PRの専門学校に入学。卒業後、企業PRに関わるレセプションに携わった。
1961年、エジプト出身のイタリア人と結婚。義母もまた料理上手で有名な人で、義母からイタリア料理や中東料理の手ほどきを受ける。その後5年間、商社に勤める夫の仕事の関係で、北アフリカのスーダンの首都ハルッームに住む。ここでシリア人、リベリア人、ギリシャ人、イタリア人など、さまざまな国の友人ができ、その友人たちからそれぞれの母国の料理を教わる。
1966年、イタリア・フィレンツェへ家族とともに移住し、その1年後、夫の赴任で日本へ。1992年に日本を離れるまで、日本でもまた、料理上手なイタリア人の友人たちやさまざまな国の友人と出会い、イタリア料理はもちろんのこと、日本料理、中華料理、インド料理など、幅広い料理の知識を得る機会に恵まれる。
友人たちのすすめで料理教室を開き、10年ほど、自宅で料理教室を主宰。料理をつくりながら語る、歴史やルーツなど、料理にまつわる「物語」が好評で、この経験が、日本を離れて18年たった今、料理本の出版を実現させることにつながった。
また、1980年ごろの日本ではまだほとんど知られていなかったティラミスを、日本に広めるきっかけをつくった功労者のひとりでもある。夫が日本に初めて輸入したフレッシュマスカルポーネチーズの販促活動をサポートするため、食品見本市でフレッシュマスカルポーネチーズを使ったティラミスの試食会を行い、これが評判を呼び、ティラミスが一気に全国的に知られることになる。フランスでレセプションの仕事をしていた経験がここで生きた結果となった。現在はスイス・ジュネーブで夫と2人で暮らしている。結婚し家庭を持った3人の子どもたちは日本、ドイツ、フランスで暮らしているが、年に2回は家族全員が集まる。家族に会い、料理を振る舞うことが何よりの楽しみ。マンマ(mamma)は今、8人の孫のノンナ(nonnaおばあちゃん)でもある。