soup トスカーナ風ミネストローネ

トスカーナ風ミネストローネ

乾燥豆は、ミネストローネに欠かせない食材のひとつです。

たくさんの野菜が入った濃厚なスープ「ミネストローネ」は、イタリア語の「給仕する」という意味の動詞「ミネストラーレ(minestrare)」から派生した「ミネストラ(minestra)=スープ」という言葉が語源です。一般家庭でミネストローネが夕食のメインディッシュだったころのイタリアでは、ミネストローネの入った鉢や鍋は、一家の主人自らが家族や会食者に配る習慣があり、そこからこの料理名が生まれたようです。

現在、イタリアのミネストローネは、具材にパスタや米が加えられ、さらに食事の最初に出される料理になっていて、かつてのものとは少し様変わりしています。

ここに紹介するトスカーナ風ミネストローネには、乾燥豆を使っています。イタリア人は、パスタや米の入った野菜スープに必ず豆を加えます。

3万種類以上あるといわれている豆の中でも、イタリアで最もよく食べられているものは、皮が薄いことで知られているボルロッティ、白い色のカネリーニ、トスカーナ特産のトスカネリやゾルフィーニです。

豆の原産地は、中央アメリカおよび南アメリカで、8000年以上前から食べられていたといわれています。たんぱく質源として常に人類の食べ物として重要な役割を果たしてきた豆は、穀物を一緒に食べることで、豆の栄養素をより摂取できるといわれています。 このおいしい料理をさらにおいしく食べるために、トスカーナ地方の人々は、塩なしパンを添えます。偉大なイタリアの詩人ダンテは、「他のパンは塩の味しかせず、一緒に食べる料理の味を損なう」と塩なしパンを賞賛ていました。彼はまさに、真のトスカーナ人でした

材料(4人分)

  • 乾燥白いんげん豆 …200g
  • ベーコン …60g
  • パセリ …20g
  • にんにく …1片
  • にんじん …1本
  • セロリ …1本
  • ローズマリー …小さじ1
  • バジル …6枚
  • たまねぎ …100g
  • オリーブオイル …大さじ4
  • トマト …2、3個
  • タイム …ひとつまみ
  • キャベツ …1/4個
  • 塩・こしょう …適宜
  • オリーブオイル …適宜
  • おろしたパルメザンチーズ …適宜
  • ごはんまたはゆでたマカロニ …少々

作り方

  • いんげん豆は一晩、水につけておきます。その後水を切ってから鍋に入れ、水をひたひたになるまで入れます。塩を加え沸騰させ、1時間半煮ます。いんげん豆が煮えたら鍋から取り出します(煮汁は後で利用するので捨てないこと)。
  • 1のいんげん豆を半分だけつぶしピューレ状にします。
  • ベーコン、パセリ、にんにく、にんじん、セロリ、ローズマリー、バジル、たまねぎはみじん切りにしておきます。
  • 鍋にオリーブオイルを入れ加熱し、3の材料をすべて加え炒めます。
  • 4に、皮を湯むきし乱切りにしたトマトとひと口大に切ったキャベツ、タイムを加えさらに炒めます。
  • 4に、2のピューレ状にしたいんげん豆と残りの豆、5の野菜を入れ、豆のゆで汁をひたひたになるまで入れま す。弱火で30分煮込み、塩・こしょうで味をととのえます。
  • 6にごはんまたはゆでたマカロニを入れ煮込み、ひと煮たちしたら、おろしたパルメザンチーズ、オリーブオイルを添えて出します(オリーブオイルは十字を切るようにスープに垂らす)。

ミシェルアンドレコーヘン
Michele Andree Cohen

第二次世界大戦中の1939年12月、フランスのトゥールで生まれる。終戦後の1946年にトゥールからパリに移り、結婚するまでの15年間パリで暮らす。料理上手な母から、伝統的なフランス料理の他、アルザスの料理や、父親の故郷であるロレーヌ地方の料理を教わる。
バカロレア(大学入学資格)を取得後、PRの専門学校に入学。卒業後、企業PRに関わるレセプションに携わった。
1961年、エジプト出身のイタリア人と結婚。義母もまた料理上手で有名な人で、義母からイタリア料理や中東料理の手ほどきを受ける。その後5年間、商社に勤める夫の仕事の関係で、北アフリカのスーダンの首都ハルッームに住む。ここでシリア人、リベリア人、ギリシャ人、イタリア人など、さまざまな国の友人ができ、その友人たちからそれぞれの母国の料理を教わる。
1966年、イタリア・フィレンツェへ家族とともに移住し、その1年後、夫の赴任で日本へ。1992年に日本を離れるまで、日本でもまた、料理上手なイタリア人の友人たちやさまざまな国の友人と出会い、イタリア料理はもちろんのこと、日本料理、中華料理、インド料理など、幅広い料理の知識を得る機会に恵まれる。
友人たちのすすめで料理教室を開き、10年ほど、自宅で料理教室を主宰。料理をつくりながら語る、歴史やルーツなど、料理にまつわる「物語」が好評で、この経験が、日本を離れて18年たった今、料理本の出版を実現させることにつながった。
また、1980年ごろの日本ではまだほとんど知られていなかったティラミスを、日本に広めるきっかけをつくった功労者のひとりでもある。夫が日本に初めて輸入したフレッシュマスカルポーネチーズの販促活動をサポートするため、食品見本市でフレッシュマスカルポーネチーズを使ったティラミスの試食会を行い、これが評判を呼び、ティラミスが一気に全国的に知られることになる。フランスでレセプションの仕事をしていた経験がここで生きた結果となった。現在はスイス・ジュネーブで夫と2人で暮らしている。結婚し家庭を持った3人の子どもたちは日本、ドイツ、フランスで暮らしているが、年に2回は家族全員が集まる。家族に会い、料理を振る舞うことが何よりの楽しみ。マンマ(mamma)は今、8人の孫のノンナ(nonnaおばあちゃん)でもある。